■心をつかむVol.2

北村は,自分の執務室に戻り,2ヶ月前の試算表を見ていた。
経理部長が作った手書きの試算表だ。
独特の癖のある数字で,なかなか読みづらい。
売上高から経常利益まで,ずっと目を追っていったが,北村は一人つぶやいた

「これじゃダメだ」
経理部長が作っている手書きの試算表は,全社の合計の数字だ。もちろん,社
長が会社の状況を把握するためにはそれでいいかもしれない。
しかし,社員少なくても店長には,会社の現状を把握させ危機感を持たせたい。
そのためには,この全社数字だけではダメだと北村は感じていた。
「店舗別の損益までわからないと・・・」
店舗別にどれだけ儲かってどれだけ損しているのか,それを開示しない限り全
社数字を社員が見ても,「社長の言うことはわかるが,はてではどうすれば?
」となってしまうのではないか,と北村は危惧していた。
今まで何度となく経理部長には店舗別の損益も出して欲しいと言ってきた。し
かし,実行しない。
何かできない理由を言ってくれればいいのだが,「わかりました」と口では言
うが,とんと進まないのである。
どうも自分でやれる範囲のことしかやらないという主義のようだった。

北村の会社の経理部長は,取引のある銀行からの紹介だった。
「北村社長,経理部長を探しておられましたよね」
そう言って,ひまわり銀行の副支店長小谷は,支店にちょっと寄った北村の顔
を見つけて小走りに駆けてきた。
「できる経理部長が一人いるんですが,いかがですか?」
副支店長の小谷は,北村の顔を覗き込んだ。
「ええ,いい経理マンを探しているところです。どんな方ですか?」
小谷は,我が意を得たりと背筋を伸ばし,続けた。
「いやね,うちの取引先なんですが,来月いっぱいで経理部長が辞めるという
話を聞きまして・・。よくよく訊くとまだ再就職先も見つかっていないという
ことらしくて。それで,ぱっと北村社長の顔が浮かんだんですよ。」
「辞めるって,何か問題でも?」北村は経営者としてまず真っ当な質問を一番
にぶつけてみた。
「何も問題はありませんよ。その会社にも15年勤めましたし。退職にあたっ
てはその会社の社長自ら音頭をとって送別会をやるそうです。どうも惜しまれ
て辞めるようです。ですから,金銭トラブルがあったとはそんなご心配は無用
ですよ」
副支店長の小谷とは,取引当初からの付き合いでもあったので,北村は小谷の
言葉を信じ,ちょっとその経理部長に興味を持ち始めた。
「履歴書とかあるんですか?」
「ちょっと待ってくださいね」と小谷は自分の机に戻り白い封筒を持ってきた

その封筒を北村に渡しながら,小谷は言った。
「一つだけ,ちょっとありまして・・・年齢なんですよ。社長より年上なんで
すけど・・・」
北村は履歴書を見てみた。年齢は53歳と書いてある。
「なるほど,53ですか・・・」北村は腕を組んだ。
「社長もまだ38歳とお若いですし,社長の年齢より年下で腕のいい経験豊富
な経理部長というのもなかなかいないんじゃないですか?」
と小谷は言った。
小谷の言うとおり,いろいろなつてを頼って探してはみたが,優秀で切れそう
だと思ってもまだ経験が不足して即戦力としては物足りなかったりして,なか
なかいい人材が見つからないというのが正直なところだった。だから小谷のい
うことも北村にとっては説得力を持つものだった。
「一度,その経理部長さんに会ってみましょうか」と北村は言った。

そして,その経理部長は,縁あって北村の会社へ入社することとなったのだっ
た。

副支店長の小谷にいうとおり,経理マンとしては合格であった。しかし,それ
は一昔前の経理マンとしてであった。
北村の要求する水準には達しないことが多く,北村は常にフラストレーション
がたまっている状態であった。
「銀行の紹介だから大丈夫かと思ったが,とんでもないことになったな」
これが北村の心境であった。
そして,これから会社の数字をオープンにして,全社一丸で戦う体制を作ろう
という時に,実は一番ネックになりそうなのが,この経理部長であった。
再度,店別の損益を出して欲しいとか,もっと早く月次試算表を出して欲しい
と言っても,今までと同じことの繰り返しになるだろう,と北村は考えていた。

「まずはここからだ」
そう北村はつぶやき,経理部の部屋へと向かった。


<つづく>
                                                
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