■心をつかむ

インテリア雑貨やセレクトショップをチェーン展開する「株式会社カモミール」
社長である北村は,ある決意を持って今年度に臨もうとしていた。
それは,「情報開示」。会社の財務状況をすべて従業員にオープンにし,自分
と同じ危機感を持ってもらいたいと思っていた。
今までは,北村がすべてを指示し,右へ進め左へ進め,とトップダウンでやっ
てきた。
会社を立ち上げ,事業が軌道に乗るまではそれも有効であった。
しかし,今は違う,と北村は思っていた。
自分ひとりでは限界がある。社員の力をさらに発揮させこの難局を乗り切らな
ければ,会社は潰れると感じていた。
自分と同じ危機感を持ってもらうには・・・・
寝ずに考えた結論が,数字をすべてさらけ出して,みんなで考えることだった



「おれは,そんなことできないね」
北村の親友の一人,中川はビアグラスを口に運びながら言った。
「だって,社員が数字を漏らしたらどうするんだよ。会社の機密だぜ。いい時
はいいさ。でも悪くなった時どうする?数字が悪いから公開をやめるわけにも
いかんだろ。そしたらその悪い数字が取引先に漏れたらどうするんだ。仕入れ
ができなくなるぜ。そんなリスクを負ってまでやる意義を感じないね,俺は。

なるほど,それもそうだ,と北村は思った。
自分の会社も業績はよくない。だからこそ情報をオープンにして従業員の危機
感を高めたかった。
でも,中川が言うように,それが外部に漏洩する危険もある。
業績が厳しいようだ,という噂が広がるのは早い。取引に支障がでたり,テナ
ントで出店している商業デベロッパーにも噂が広がるかもしれない。
そうなれば,中川のいうように,商売自体ができなくなる危険もある。
ビールをゴクリ大きく飲んだあと,北村は,「う〜ん」と唸った。
「それにさ」と中川は続けた。
「オープンにするって,おまえ言うけど,すべてオープンになんかできっこな
いじゃんか。社員に説明がつかない科目とかあるだろ。そんなのどうするんだ
よ。短期貸付金とか出資金とか。社員からどこに貸しているんですかとか,ど
こに出資しているんですか?会社のことを考えればすぐに回収するべきだ,な
んて言われたらどうすんだ?俺はそんなややこしいことを説明してやっていく
のはまっぴらごめんだね」
従業員に説明のつかない,というか,社長の独断で出金をしてきた科目は北村
にもあった。面倒といえば面倒だ。
中川のいうように,情報公開などせずにすむものであれば,それに越したこと
はない,とも思った。
しかし,そんなことができるだろうか。
北村は,どうしても従業員との一体感を作り上げていきたかった。

中川と久しぶりに会って夕食をともにしてから,数日後北村の携帯が鳴った。
「北村さんですか?」
「そうですが」
「先日ひまわり銀行のセミナーでご一緒させていただいた坂田です。覚えてい
らっしゃいますか?」
「ああ,坂田さん。もちろん覚えていますよ。あの時はお世話になりました。ど
うされました?」
「いや,近くまで来たので,ちょうどお昼時だし,いらっしゃるかな,と思っ
て電話しました。もしよかったらお昼でもどうですか」
「いいですね。是非是非。角に郵便局がありますから,そこで待ち合わせはい
かがですか」
「了解です,ではまたのちほど」
坂田は,銀行の会員制セミナーでちょうど席が隣ということで知り合った社長
だった。
その場の雰囲気がよければ,今ちょっと悩んでいることを相談してみよう。
北村は,そう思い急ぎ上着を羽織った。

<つづく>



トップへ
トップへ
戻る
戻る