■【失敗から学ぶ成功する経営】

11.親族と無駄な争いをして失敗する

●私は23歳で事業を継いだ二代目です。創業をしたのは私の実父
です。会社の創業は昭和42年8月10日です。父が32歳の時で、
私はまだ6歳の時でした。

●創業時は多くの会社がそうであるように、当社も父の兄弟が手弁
当で手伝って創業時の苦しい時を乗り切りました。創業時は売上も
ままならず、従業員が雇えないことはもちろん自分たちの給与さえ
もらえない、とても脆弱な資金繰り状態です。そのような状況では
家業として意識し働いてくれる親族・一族の力で乗り切らなければ
やっていくことはできません。

●しかし、最初の苦しいときは強い結束力を誇る一族の経営も、次
第に経営が軌道に乗り従業員を雇い儲けも出てきて余裕が生まれ始
めると軋み始めてきます。当社も場合も例外に漏れず、少しずつ歯
車が狂ってきたのでした。

●父の弟(私の叔父さん)も創業時からではありませんが、一緒に
働いていたことがありました。入社した経緯は詳しいことはわかり
ません。しかし、仲良くなっていた時代もあったようです。叔父さ
んは最初は営業的なことなどいろいろやっていたようですが、最後
のほうは父から印鑑も渡され経理を全面的に一任されていたようで
す。

●その二人が昭和50年代初頭に大きな喧嘩をして、叔父さんは父
から解雇を言い渡されてしまいます。しかし、その一度の喧嘩が解
雇の原因ではなく、それまでの勤務態度など父としては積もり積も
ったものがあったらしいのです。また引き金となった喧嘩の原因は
経理を不正に処理して私的に流用したらしいのです。しかし、この
引き金となった事件の詳しいことはわかりません。迷宮入りとでも
いうのでしょうか。真実を知っている父は16年前に他界し、真相
を知っているであろう当時の経理部長、税理士は知らぬ存ぜぬを突
き通し、そしてもう一人の当事者である叔父さんは当然自ら不利に
なることを言うはずもありません。

●父は叔父さんを解雇したあと、なぜか給与だけは支給していまし
た。家族まで路頭に迷わせるわけにはいかないという兄のやさしい
心遣いだったのしょう。しかし、この心遣いが後々私を苦しめるこ
ととなりました。

●父が急逝し跡を継ぐこととなった私は、この問題への対処で大変
困りました。まず、父からは叔父さんについて悪い話しか聞いてい
なく「俺が死んでも絶対に入社させるな」と遺言をもらっていまし
た。また、父の友人の多くの方が、同じ意見をおっしゃっていまし
た。また取引銀行からも叔父さんが入社すれば取引継続を考えると
通告されてしまました。私には真実として何があったかわかりませ
んが、何かとても大きな事件があったのだろうとは容易に想像でき
ました。

●また社内でも、社員でない叔父さんに給与を払っているというこ
とは周知の事実であり、いくら会社が一族の持ち物とはいえあまり
にひどいのではないかという空気がありました。古くからいる社員
も詳しいことは知らないにしても社長であった父からいろいろ聞か
されていたのだと思います。

●そのような中、私としては二代目として代も変わったことだし、
会社が一族の持ち物という考えから企業としての体裁を持てるよう
方向転換を図ろうと思い至りました。同族会社のままでは、社員の
やる気もでないし大きな業績向上も望めないと判断したわけです。
ですから、ノーワークノーペイの原則に則り叔父さんへの給与の支
給をストップしました。企業の立場から見れば当然です。何の生産
性も上げられない人に払うお金は一円でもありません。

●しかし、もらっていた本人としては既得権益と考えていたのでし
ょう。怒り心頭となり弁護士を通じて法外な要求をしてきました。
最初は引き続き毎月支払えというようなものだったと記憶しており
ますが、次第に一時金として何億という金額を要求してきました。
内訳は名義株として所有している株式の評価金額、勤めないでもら
っていた給与についてベースアップがなかったので数年にわたるそ
の差額分、営業権、そして退職金などです。辞めさせられた後も真
面目に働いているがとても生活できない、などの状況であれば私や
その周囲の人達も一考の余地はありましたが、どうも辞めて以来定
職にはついていないようで、そのような生活態度もこちらの対応を
硬化させた理由でした。

●そのような法外な金額は当然支払う義務はないと突っ張りました。
先方は株主であるという根拠を利用して、株主としての権利行使の
申込みを頻繁にしてきました。帳簿の閲覧であるとか、株主総会に
出席するとかなどです。しかし、非上場の同族会社で中小企業の場
合、多くの企業は株主総会を書面上で開いて手続きをしているのが
現状だと思います。親族しかいない株主に総会開催の通知を出して、
賑々しく開催するということはまずないでしょう。しかし、私の場
合は叔父さんがうるさく言ってくるので面倒くさいながらも開催し
なければいけませんでした。そして開催すればしたで、昔の感覚で
経営を論じ議論も噛みあわず大変疲労困憊することを行なってきま
した。

●名義株というのは恐ろしいもので、中小企業の多くの場合、親戚
や友人知人に対して「名前だけ貸して」と簡単に依頼し株主になっ
てもらったりします(もちろん今までの恩義に報いるために株式を
渡すという場合もありますが)。しかし、関係が良好なうちはいい
のですが、悪化してくるとこの名義株というのは実質オーナーにと
ってとても面倒なことになります。名義株ということを証明しなけ
ればいけないということです。これが非常に難しい。また、非上場
とはいえ株式の移動は税務上の問題も同時に発生します。ですから
よけ話しがややこしくなります。私も場合も叔父さんの株は名義株
で実際は私のものだということを法的に証明できればこんなごたご
たも起きずに済んだのですが、結局それは最後までできませんでし
た。

●あまりに法外な要求をしてくるので、こちらはどう対応するか検
討していると、しびれを切らして先方が訴訟を起こしてきました。
こうなると裁判所が入るので、お互いシロクロつけようとなります。
しかし、私のほうでは、例えば叔父さんが辞めた理由について真実
を誰も知らない、または知っていても言わないため、反論の調子が
どうしても弱くなってしまいます。また株式についても先に書いた
ようにどうしても歯切れが悪くなります。このように肝心ば部分に
なると裁判官にきちんと申し立てできず、そこを先方もここぞとば
かり突いてきてとてもとても悔しい思いをしました。絶対にこの争
いには負けるものかと闘争心だけが沸いてくるのでした。

●このような争いでは判決が出るに至る前に和解となります。私の
場合も和解勧告があり和解となりました。しかし、そこまでくると
私の顧問弁護士の力もあって、裁判官も若くして頑張っている二代
目を叔父さんが理不尽なことを言っていじめているという構図にな
り、先方の要求金額よりはるかに少ない金額で和解となりました。
それでも総額で8千万円ほどです。会社が5千万円を5年間で分割
払い、3千万円を株式と買取として私個人で一括払いという内容で
した。そのような大金は個人ではありませんでしたから、自宅を担
保に入れて銀行から借り入れをして支払いました。のちのちこの借
金が重くのしかかり、会社の財務内容をボディブローのように疲弊
させ、個人についてもこの借金があるため多額の社長報酬を取らな
ければならなくなったのでした。

●和解後は、まったく嫌がらせを受けることもなく、やっと自分の
代になりいろいろな施策を実行していくことができました。が、し
かし、この私のとった行動、得た結果は正しかったのでしょうか。

●経営には正しいか、間違いか、すぐにシロクロをつけられないこ
とがあります。ましてやその時はみんな全力で事の解決にあたって
いるわけで、誰も悪い結果を得ようとしている人はいません。しか
し、私のこの件、親族との揉め事は、はたしてその後どういう影響
を経営に与えその結果はどうだったのでしょうか?

●私は一つの思い込みがありました。それは、企業化を目指さなけ
ればいけないということです。同族を排し企業化を目指すことこそ
二代目である自分の使命と思っていました。しかし、今思えばもっ
としたたかに対応しても良かったのではないかと思うのです。それ
は、商売の原則でありますが、費用対効果の考え方です。先にも書
いたようにその後の和解に対する負担は想像以上に企業体力を疲弊
させ、思い切ったリストラも躊躇させる原因ともなりました。とな
れば、もっと柔軟に発想して、のらりくらりと株主総会もやりすご
し、訴訟も和解で妥協せず徹底抗戦すればよかったのではと思いま
す。

●私のこの失敗からの教訓は、同族会社は悪ではないということで
す。そして、経営というのは不条理なことも飲み込んで実行してい
くものであるということです。私の場合、あまりに一直線に考えす
ぎ、清濁併せ呑むということができなかった故、このような迷惑を
会社にかけてしまったのだと思っています。また、出金を伴うこと
については冷静に考え、必ず費用対効果を考えるということです。
実はこれは意外と難しく当事者は感情的になって熱くなったりして、
「とことんやってやる」なんていう状態になることもしばしばです。
同族との争いはどうしても「とことんやってやる」になってしまい
がちですが、そこは冷静になって、みなさんには是非一経営者とし
て賢明な判断をしていただきたいと思います。
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