■【失敗から学ぶ成功する経営】

4.オリジナル製品を作れずに失敗する

●13号の「関連会社を作って失敗する」にも書きましたが、アパレ
ル会社を作って結局失敗し、その時の教訓を生かして本業の小売会
社でオリジナル製品を作ることに成功しました。バーゲンでの値引
きや売れ残りの分を差し引いても粗利を65%以上確保することが
できました。アパレル業界は売れればほんとうに儲かるものだとい
うことがよくおわかりいただけると思います。あまりに急激に粗利
が向上するので、メインバンクからは良くなっている理由を書面で
出してくれといわれることもありました。審査本部としても不可思
議と思うくらい製造小売は儲かるものなのです。現代ではユニクロ
がそれを証明していますよね。

●しかし、私の場合は今で言う製造小売とは違い、デザインラフだ
け当社でおこして後のデザイン画作成、パターン作成、生産管理、
仕上げ、納品などは業務提携先に一切委託するという形をとりまし
た。ファブレス経営ということになるのでしょか。委託先は大手メ
ーカーから中小までありましたが、あまり多くなるとこちらの管理
が大変になるので、5社程度に抑えていました。5社はそれぞれ得
手不得手があって、ジャケット製造に強かったり、ボトムス製造に
強かったりとまちまちでしたので、こちらはうまく使い分けて委託
をしていました。「利は元にあり」のとおり、原価削減はあくなき
追求であり、最後はやはりというか、香港で生地を選んで中国の工
場で製造するということになりました。もちろん外部委託していた
ので中国の工場管理はこちらではしていませんでした。また、海外
取引は為替の影響が必至ですが、それも委託先にリスクを負っても
らい当社としては、為替変動のリスクなしでオリジナル製品を製造
していました。

●一見、順調でなにも問題がないように思えますが、そうでもあり
ませんでした。というのは、オリジナル製品のデザインをしていた
のが、当社の社員Aさん1人で行なっていたのです。そしてAさんは
なかなかうまく部下とコミュニケーションがとれず絶えず衝突を繰
り返していたのでした。もちろん、私もいろいろな形で危機介入を
してその場その場を収めてきました。しかし、性格から発するその
言動はどうしても直ることもなく、私も困り果てていました。人望
のない人物は上にあげてはいけないというのは人事の鉄則ですが、
Aさんは仕事は人一倍できますし、会社の業績も奇跡的に回復させた
功労者でもあります。仕事面という意味では誰もがその実力を認め
るところでした。ですから、鉄則に反して番頭の地位まで上げるこ
とにしました。Aさんはその地位に見合う以上の働きをしてくれまし
たが、相変わらず部下と衝突することは頻繁に起こっていました。
実力はあるけれど部下の信望がないことが私を悩ませました。また
もう一つ私を悩ませたことが、Aさん一人でオリジナル製品を作って
いたので万が一辞めてしまったりすると収益力の高いオリジナル製
品が作れなくなってしまうという事態になることでした。しかし、
このようなことは中小企業ではよくあることだと思います。特に衣
料品業界では個人の属人的能力に負うことが多く力のあるバイヤー
でその会社が持ちこたえているということもよくあることです。そ
のような経営的にとても不安定な状況はいけないことなので、Bさん
という実力があるという人物を2年間口説いて招聘しました。

●はじめは、AさんとBさんはうまくいっていましたが、案の定衝突
するようになりました。またその頃からファッションのトレンドに
変化があって今までのデザイン路線では売れなくなってきていま
した。売れなくなると店舗など現場の不満は一気に噴出します。オ
リジナル製品をデザインしていたAさんを非難するようになり、私
もいろいろフォローしたりカバーしたりしましたが、ある日全店の
店長から「Aさんを社長は重用するなら私たちは辞める」という直
談判を受けました。これにはびっくりし、そしてとても悩みました。
人望はないが実力のあるAさんを取るか、まかせて安心な優秀な店長
達を取るか、とても悩みました。しかし、全店の店長が一気に退職
してしまえば、明日から店舗運営ができなくなります。それこそ社
内がパニックになるのは目に見えています。私は決断しました。全
店の店長を選び、Aさんにはこのような直談判が出ているから進退を
考えて欲しいと言い渡しました。

●若干のごたごたはありましたが、結局Aさんは退職しました。そし
て大切なオリジナル製品のデザインはBさんがそのあとを引き継ぎ行
なうこととなりました。しかし、Bさんは現場の店長を納得させる製
品を作ることができませんでした。その点では、Aさんのほうがやは
りはるかに実力は上であったのでした。それでもなんとか良い製品
を作れるように私もフォローし環境も整えましたが、いくら作って
も現場の賛同は得られず、Bさんも失意のうちに退職をしてしまいま
した。

●ファッションのデザインは特殊な才能が必要です。AさんBさんがい
なくなったからといって、では社内の中で誰か適当な人物にあとをま
かせようとはいかないのです。ですから、二人が退職したあと、オリ
ジナル製品を作ることはできなくなり自然消滅してしまいました。B
さんのあとをどうするか早めに手配をしていなかった私が悪いと思い
ます。しかし今思えば、アパレル会社を作って失敗し、AさんBさんで
失敗してしまい、私自身もう次の人を招聘する意欲がなくなってしま
っていたのかもしれません。

●結局、経営的は粗利率の高いオリジナル製品がなくなってしまった
ので、また100%仕入れ商品に逆戻りし、粗利率も50%台になっ
てしまいました。その後の残った社員は良く頑張ってくれましたが、
しかし、オリジナル製品を作っていた頃の勢いは取り戻せず経営は急
降下していくのでした。

●しかし、その後ない知恵を絞って100%仕入でなんとか高粗利を
取れないかと考え、アウトレット業態を生み出すことに成功しました。
けれども時すでに遅し、もう持ちこたえることができないくらい会社
は疲弊していました。

●また、全店の店長達は直談判してAさんと取るか自分達を取るか、
私に迫ったわけですが、その後彼ら彼女らの何人が最後まで会社に残っ
てくれたのでしょうか。わずか数名です。直談判して迫ったのは会社の
ことを考えてではなく、気難しいAさんがいなくて働きやすい職場を取
り戻したい、という動機だけであったのです。ですから、あそこまで
鬼気迫る勢いで直談判したにもかかわらず、まるで何事もなかったか
のように、その後自己都合で一人退職し二人退職していったのでした。

●オリジナル製品を作ることを継続できなくて経営を失敗したのは事実
ですが、この問題の本質はそこにはありません。失敗の本質は、直談判
された時の私のジャッジにあります。人望はないが実力ある社員を選ぶ
か、直談判を申し入れた優秀な店長を選ぶか、のジャッジです。今思え
ば、やはり会社の業績向上に多大なる貢献をしたAさんを選ぶべきでした。
ロールプレイゲームではありませんが、ここがその後のシナリオが大き
く分かれる分岐点であったように思います。おそらく、店長達が退職し
てもAさんは持ち前の実力でなんとかやり過ごしたと思います。またもし
かしたら、店長達は私を試しただけでAさんを選択しても実際は辞めなか
ったかもしれません。そう考えると、その後の運命を決めたジャッジだっ
たと思います。後にも先にもこれほど悔いが残るジャッジはありません。

●この失敗から何を学べばいいのでしょうか?
それは「経営者は、会社の成長に対して貢献することは何か?という視点
を常に忘れず何事も決断しなければいけない」ということです。いろいろ
なことが重なったり個別事情が絡んだりするとどうしてもこの基本的かつ
原則的な視点を忘れてジャッジしてしまいます。例えば情に流されてしま
ったり、私のように多数決で押されてしまったり、いろいろな周辺事情が
発生します。しかし、そのようなことにとらわれずに冷静にジャッジする
ことがとても大切なのです。私のようにそのジャッジでその後の会社の運
命がほぼ決まってしまうことだって起こり得るのです。
「会社のすべての思考・行動の矢の先は利益に向かっていなければいけない」

先代の遺言でありますが、私は、この遺言を守らずに利益に矢先が向かっ
ていないジャッジをしてしまったことが、今をもっても大変悔やまれます。
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