■音楽と経営 その3

●高校で,ちょっとした歯車の違いによりマンドリン倶楽部に入っ
た私は,高校・大学と7年間マンドリンを続けることとなった。
文化系の軟派な倶楽部と思われる方もいるかもしれないが,当時は
体育会に勝るとも劣らない厳しくて有名な倶楽部であった。

●そのような倶楽部で,私はもちろん楽器も弾いたが,何故か指揮
者を仰せつかるようになった。
おそらく,子供のころからレコードを聞いて箸を振っていたことが
原因であろう。
指揮法は,高校では先輩から学んだりして,いわゆる自己流でやっ
ていたが,さすがに大学ともなると,大学公認の倶楽部であるし,
なによりも私のいた大学の倶楽部が当時では,日本一うまいと言わ
れていたので,指揮も自己流ではまずいと思った。

●そこで,日本フィルの指揮を務めたことがあるプロの指揮者の方
に,教わることとなった。
短い期間ではあったが,まさに目から鱗が落ちる思いだった。
今までの自分の音楽に対する考えや表現はなんであったのか,大き
なショックを受けた。音楽をどう構成して表現するか,根底から変
わるきっかけとなった。

●棒を振りオケを纏める力が,なぜか突出していた私は,指揮者こ
そ自分の天職だと思うようになった。理論を教わらなくても自然と
行なえ,自分のやっていることを後から理屈付けしていく。努力を
しなくても人並み以上にでき,努力すればカリスマ性まで帯びてく
る。
これ以上書くと自慢話になってしまうが,その才能には自分でも恐
ろしいくらいだった。
もっと本格的に音楽を勉強したい,そして指揮者になりたい・・・
そんな思いがだんだん強くなり,大学3年の時,恩師に思い切って
相談をした。
「今の大学を中退して,音楽大学に入りなおし,指揮を本格的に
勉強したい」
恩師はこう尋ねてきた。
「君は,ピアノが弾けるか?」

私は,ピアノが弾けない。母は私に習わせようといろいろ努力したが
私はいやだいやだと泣いて行かなかった。だから,ピアノが弾けない
のは,自分の責任でもあった

●「ピアノが弾けないと音大には入れない。また指揮者としても致命
的だ。指揮者はスコアを見ながら移調楽器まですべて弾けないとダメ
だ。今からピアノを習うと言うが,今から毎日8時間練習しても無理
だろう。残念だが,プロの音楽家になることはあきらめたほうがいい」
私は,これほど自分のしてきたことで悔いたことはない。
なぜ,母の言うとおりピアノを習ってこなかったのか・・・
悔いても悔やみきれないことだった。

●それから,私はアマチュア指揮者として,棒を振ることとなる。
大学を卒業してからも,指揮を振る機会を与えられ,続けてきた。
一番の思い出は,今から7年前になってしまうが,人見記念講堂で
120人のオーケストラを振ったことだ。エキストラで来ていただい
たプロの方々は,そうそうたるメンバーで,NHK交響楽団や東京交響
楽団で主席奏者をしている方々もいた。
3年がかりで準備したその大きな演奏会以来,私はもう棒を振って
いない。

●自慢話になってしまい大変心苦しく思っているが,なぜここまで話
をしたかといえば,このようにアマチュア指揮者としての才能を認め
られ本気でプロに転向までしようと考えた人間が,音楽と経営につい
てどう切り込むのか,ということをご理解いただきたかったのである。
そうでなければ,話の信憑性が薄れてしまうからである。

●音楽と経営,指揮者と経営者,これらについて次号から考察してみ
たい。
みなさんにも,気付くことが多いのではないかと思う。
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